何も言えない虚無感とふつふつと浮かび上がる怒りに似た感情。ただ、単純に悲しかった。
ニュースやSNSとかで流れて見ていたものはどこか遠く感じ、差別について自分には関係ないと思い込んでいた。
恥かしい話だが、僕も差別の心を持っていたことは確かで、何も知らないのに中国や韓国、朝鮮と行った国に対して差別的な感情があった。それによって嫌な思いを人にさせてしまったこともあったし自分では何気ない言動だったが、中国や韓国や朝鮮と言う国をニュースに便乗し強烈に批判していた過去がある。
当時の僕には罪の意識も低く問題はもっと難しいのに、相手のことを考えずにごめんと軽く言って空気を流していた。
無知とは怖いもので自分のキャパシティ、世界の中でその場の感情や雰囲気によって流されてしまうのだろう。僕がそうだった。過去は取り返せないが、今は旅をして色々な国の今を見て知り、たくさんの人種や宗教を知って考えさせられ学んでいる最中だ。
実際に自分が差別を受ける側になり簡単には流せないもどかしさを感じ、僕もこの気持ちにさせてしまったんだと深く反省した。
僕は知らず知らずに東南アジア来た労働者を見下したり、事件を起こした外国人に対して国の名前を使ってニュースになったことを、ことを大きく受け入れてしまい差別してしまうのかもしれない。
全員が悪いわけではないのに、悪いのはごく一部の人たちなのにニュースを見ただけであの国は危ないとなってしまう現状。発展途上の国に行く時多く言われるのは、何されるかわからないし気をつけてと言う言葉や、あそこの国には行かない方がいいのではないか。といった否定的な言葉。
悪いのはごく一部なのにね。
それを今回の旅の中で強く思ったし、いろんな事件があったけどその国のことを嫌いになんてならなかった。
イギリスに来てあった差別。
「チョン、チュン、チャン、ジャップ」
顔が平べったくて何て奇形なんだ。と珍しがられた。
アジア人は卑劣で卑しいとさえも言われた。
笑って言っている本人は全くと言っていいほど無知なのだろう。屈辱感たっぷりだったが、同時にたくさんのことを学べた。僕もそういう気持ちにさせてきたのだから。
この気持ちがどうやったら解決するかわからないが、双方にとって気持ちのいい問題ではないだろうしむしろ、受けた側は深い傷となって記憶に残っていくのだろう。
だけど、僕がこの先軽々しく差別的な発言を口にすることはないと思う。心ない言葉は全てを無にする力を持っているから。
今後も旅を続けてたくさんの問題が出てくるだろうけど、差別ほど虚しい気持ちになるものはないだろう。
しっかりと胸に刻み、全員が笑えるように願うばかりだ。
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