そうだ登山しよう

痛みを伴わない教訓に意義がない。人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから

 

しかしそれを乗り越え自分のものにした時、、、、、

 

人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう

 

 

 

 

これは僕が登山に挑戦した時の話だ。

 

日本を飛び出してから一年が経とうとしていた。僕は長い期間の旅行はしたことなく、日本を出てから新しいモノを見たり触ったり、関わったことのない国の人たちと知り合い一緒にご飯食べたり、もちろんん日本の人たちとも出会い、いろんな経験や話しを聞き時には語り合い、刺激的な毎日に興奮していた。

 

それも、だんだんとマンネリ化してきたように感じ何か変化を加えようと、1000kmをただただ歩くことをしてみたりした。しかし、状況は変わったが肝心の気持ちはさほど変わってないように感じた。やり遂げた時の高揚感は何にも代えがたい純粋なものだったけど、時が過ぎたらいつものに戻る。

 

憧れた長期旅行が日常に感じ始めて、少し嫌になった。

 

バスや飛行機を使って移動し、ホテルや安宿にチェックインしWi-Fiを確保し情報を集め観光し意味わからないYouTubeを見たりとそんな無駄な時間の使い方をしていたと自己嫌悪に陥ったりし、何もしない状況が何日も続いた。

 

考えれば考えるほど、何も生み出さないこの状況に嫌気がさし、何かしようと試みたけど結局何も変わらなかった。いや、さほど何の動きもしなかったのが本当の話しだ。

 

そんなのが続き、ヨーロッパから南米にきて自分の中でスパークした。何だろう、、、言葉で表せないこの感情だけど自分の中で何かが壊れたのだ。この乾いた気持ちが少しずつでも潤ってきているのを感じた。

 

あの日、羽田空港からジャンプし新しい挑戦の旅立ち出たあの日に近い気持ち。懐かしい匂いがした。

 

僕は、日本を出てから一年の節目に登山に行こうとペルーのクスコに程近い「ヴェロニカ」に登ることを決めた。

 

それを勧めてくれたのは日本で僕と安を可愛がってくれ登山にいつも連れていってくれたプリさん。危険なのはわかってるし、危険だと助言をしてくれてたくさんの情報を僕に提供してくれた。プリさんの言葉もあって登山しようと僕は決心した。

 

だいたい優柔不断な僕は何をするにしても、人に左右されやすいのかもしれない。だけど、決まったら頑張ろうと思う。そう思い決心した。

 

 

 

 

 

続く。